こんにちは、しんじです。
今日は「健康寿命」と「年齢寿命」について書きます。
私は、自分で動けなくなることを基準とした健康寿命を考えて生きるのではなく、毎年できることが減っていくという考えの「年齢寿命」で生きていきたいのです。
健康寿命について
人生において健康に動ける期間のことを健康寿命と呼びます。WHOで提唱されていて厚生労働省のホームページで定義を確認できます。
WHOが提唱した新しい指標で、平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態の期間を差し引いた期間。・・・・平均寿命は・・・・介護を要する期間を含むため、生涯の健康な時期とに大きな開きがある・・・・
日本ではこの寝たきりの期間が欧米各国と比べても長く6年以上
健康寿命は、統計の数字では日本人の男性は約70歳、女性は約73歳が平均です。
引用:タマルWeb
この健康寿命を延ばすためにウォーキングやエクササイズ、人間関係を良好にすることが提案され、健康寿命を超えた後のために資産の準備をすることが言われます。
年齢寿命を考えてみた
でも、ほんとに必要なことって「健康寿命」なのでしょうか?
わたしの両親、親戚をみてきて感じるのですが、60歳を超えると、いや55歳を過ぎると、ガクッとアクティブさが無くなります。
自分自身も40歳を超えてから体力の衰えが顕著になり、老眼で視界が悪くなる、ケガの治りが遅いと感じるようになりました。
そんな経緯で、「健康寿命」は大事とだと意識して生きてきました。
今回、ふと「健康寿命」について検索すると、私の考えとは違うことに気が付きました。WHOの提唱する「健康寿命」は寝たきりでないことなので、極端に言うと自宅で一人で暮らせるなら、ヘルパーさんに掃除してもらい、食事は生協のお弁当を温めて食べ、一日ぼんやりとテレビを見ている状態も「健康寿命」と呼べるのです。
そこで考えたのが、年齢ごとに寿命がある「年齢寿命」です。
人間の肉体的成長は20歳をピークとすると何かで聞いたことがあります。スポーツ選手をみても、自分自身を振り返っても、20歳を超えたあたりに体力のピークがあると思います。もちろん、人間の能力は体だけではないので成長は続きますが、20代、30代、40代と体力が必要なことに制限が増えてきたことは実感です。
この、年齢ごとに体力的にできないことが増えていくことを「年齢寿命」と私は呼ぶことにしました。
「年齢寿命」を意識した生き方
年齢寿命を意識することになり、「あとでやろう」が減りました。来年はできないかもしれないから今するということです。40歳にできたことは、41歳では体力ではより難しくなると考えるからです。
もちろん、技術を磨き、頭で考えて行動することでカバーしていくことはできますが、身体能力は確実に落ちていると思うのです。
それなので、わたしは「年齢寿命」を意識して、定年後にしよう、セカンドライフで、などとは私は考えません。今、やりたいことは来年の自分の身体ではできないかもしれないと恐怖感を持っていて、なんとか今できないかと試行錯誤して進めるようにしています。
その覚悟として最大で60歳まで生きると想定して60歳以降のための貯蓄は意識して作っていません。年金の割り増し、年金保険、iDecoにも加入してません。所得が低いときは年金の減額を申請してきました。
今も、行きたかった南米や秘境のビーチに旅行に行くこと、ダイビングやスポーツアクティビティをすること、アメリカに住むこと、などを待たずにどうすれば今できるかを真剣に考えて行動してます。
おわりに
思い返すと10代のときは20歳まで、20代の時は30歳まで、40歳になってからは来年までと考えて生きてきました。この考え方の理由は自信がなく社会に馴染めない性格であることでしょう。
でも結果的には、いつもやりたいことが出来たら、現状である程度上手くいっていて平穏でも次に切り替えて様々な体験をしてきたので良かったなあと思います。
人生1度きりとはよく言われるステレオタイプな言葉ですが、今年は1度きり、今日は1度きりと考えていきたいです。別に高尚なことをしなくてもよくて、漫画を読んでいてもYouTubeをダラ見していてもいいんです。やりたいことを先延ばしにしたくないだけです。
ここまで、記事を読んで頂き有難うございました。この記事があなたの「寿命」について考える一助になると嬉しいです。
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