なかしんのプロフィール

モノを減らしたくなったきっかけ

 

セネガル共和国での生活

24歳の時に青年海外協力隊員としてアフリカのセネガル共和国に派遣された。3年間を彼の国の村で暮らした。電気は通っていたが停電はしょっちゅうで、家に水道はなく共同水道に水を汲みに行くような街だった。家の壁はブロックを積み上げてセメントで固めてあり屋根はトタンだった。電気も何もない村ではなく、都会のようにビルが有るわけでもなく、その中間の村だった。

村で活動を始めてから物理的なモノに関して考えさせられることが沢山あった。初期はとにかく村の人達のモノへの感覚が理解できなかった。物を借りても返さないしお金を貸しても返さないのは普通である。アパートにあるものは全て知り合いであれば持っていっても良いと感じているかのようで、まるで自分のもので有るかのように断り無く使う。初期は必死で自分の所有物を守ることに神経を使う日々であった。

だんだんと生活に慣れてくるとモノの共有の感覚がわかってきた。全てのものを共有のものと考えているわけではないことを理解できた。食べ物や生活必需品系のモノは断り無く平気で持って行かれるけれど、個人的な本やラジカセなどは持っていくまえに断ってくる。これは、生きるために必須のものに関しては共有する感覚なのだろうと納得した。

村の中で私は小金持ちであった。公務員程度の生活費を毎月貰っていたからである。これは外国人が安全で健康的に生活するに適正な金額であったが、村の普通の大人から見るとお金持ちである。だからお金を貸してくれてという相談はしょっちゅう受けた。ピーナッツを買うから10円貸してというレベルから家族がピンチなので10万円貸してまで様々な依頼が来る。初期は全てを拒否していたがだんだんと仲が良い人が増えると貸さざるを得なくなった、狭い村の中で生活していると助けてもらうことも沢山あるからだ。貸し始めた頃はお金を期日を決めて返してもらうことに一生懸命だった。お金を返すことが借りた人にとってもルールを守るということで良いことだと考えていたし正しいと信じていたから。しかしながら返してくれないことが多くなり、だんだんと返済を要求することはしなくなってきた。自分に余裕のお金があれば返してもらわなくても良いと考えるようになった。代わりに貸すという行為は止めてあげるとことにした。言葉上は貸すと言うがお金を渡したら返ってくることに期待しないのだ。逆に自分の生活が脅かされる金額は渡さないようになった。

時が流れモノへの固執がドンドンとなくなっていく自分に気がついた。自分の生活に困らないものであれば誰かに渡したほうが気が楽になった。必要な時に誰に借りられるか幾らでどこで購入できるかを知っていればモノを保つ必要はないと感じるようになった。

私が日本へ帰国する時期が近づくと村人達の目の色が変わってきた。「あれはぜひ俺に置いていってくれ」という要求を毎日受けるようになった。私も三年の生活を経験してきたので気分が悪くなることもなく適当に流した。そして金額的に村の人に渡しても良いと思えるものはあげた。椅子や服など生活用品はドンドンとあげた。高級なカメラやバッグなどは村の人の誰に揚げても贔屓したと感じられるのが嫌なので、私の住む村から遠く離れた活動中の協力隊員に譲った。

とにかくモノを持つのを止めたかった。

セネガルを去る時の荷物は歯ブラシ1本

帰国の日にセネガルの首都ダカールの空港に持っていった荷物はパスポート、航空券、クレジットカード、現金、そして何故か歯ブラシを1本であった。チェックインで預ける荷物もなくバックパックもなく手ぶらであった。

手ぶらでダカールからコートジボワール最大の街アビジャンに飛び、数日をコートジボワールの協力隊員の活動を見学して過ごす。その後、アビジャンから路線バスで隣のガーナの首都アクラを目指す。荷物はなく相変わらずの手ぶらである。3日掛けてアクラに到着して、ガーナの協力隊員の活動を見学した。アクラからはイギリスのロンドンへ飛行機で飛んだ。ロンドンを観光して電車でフランスへ。フランスでは協力隊のOBに紹介して頂いた現地採用の面接を受ける。その後パリを訪問してから日本へ飛行機行きのに乗った。一ヶ月間を手ぶらで旅した。

手ぶらでの旅行は満足度が高かった。何処に行っても旅行者ではなく地元の人間のような気分で歩けた。鞄すらないことが地元の街を歩いているような気分にしたのだと思う。

 

日本に戻る

日本に戻り健康診断を受けてから実家に戻った。そこには協力隊へ行く前に一人暮らしの先から送っておいたダンボール10箱の荷物が待っていた。中身は本、雑誌、ビデオ、DVD、工具、服、シュラフ、そんなものが入っていた。3年間一度も使わなかったモノたちである。静かに整理を始めゴミ袋にドンドンと入れていった。最後に残ったのは趣味であり仕事でも有る自動車整備のための工具、そしてシュラフだった。その後サラリーマンになるためにスーツを一着購入し革靴も買った。

フランスでの現地採用の面接の結果が順調に進みフランスでのサラリーマン生活が始まることになった。日本を経つ時の荷物は服と工具とシュラフだけで出発した。トランクがひとつと工具ケースを持って飛行機に乗った。